Quantcast
Channel: 藪井竹庵
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1816

高層ビルに日は落ちて

$
0
0
イメージ 1 ♪地球の上に朝が来る~ その裏側は夜だろう・・・

戦前の川田義男の「あきれたぼういず」時代の名曲ですね。太陽が登るから朝が来て、太陽が沈むから夜が来る・・・ってのは、「ブッシュマン」と云う映画の中で、ニカウさんが語った言葉だったか・・・

って事でね。藪さんはシビックセンターの展望ラウンジから東京の日没の撮影をしようと思い立ちました。地球は東の方向へ回転しているので、静止している太陽は地球のどっから見ても、極地方の白夜ではない限り西の方向へ沈むように見えます。

文京区の西方向は新宿です。堀内敬三先生は、ドボルザークが作曲した「新世界」のメロディーに「遠き山に日は落ちて」と云う歌詞を付けました。

展望ラウンジからは都庁のビルの左横に富士山が見えます。富士山に日が落ちてくれると「遠き山に日は落ちて」なんですが・・・今の時期は都庁のビルの右横の高層ビルに日が落ちる(^ω^)

それでも富士山と日没のツーショットを撮影しようとしたのですが・・・晴れてはいたのですが都庁のビルの左横に雲があって富士山は見えませんでした。

日の出とスカイツリーってのは、以前に不忍池の板床ベンチから撮影しました。残念ながら展望ラウンジは朝9時からオープンするので、日の出の撮影は出来ません。
 
人間は、太陽が昇ったり太陽が沈んだりする事に対してどう思ったのであろうか?

太陽が登るから明るい。太陽が沈んだら暗い。電気がなかった時代の人間はどうやって明るさを確保していたのか?

何かを燃やすと明るくなる。夜になると江戸庶民は、イワシの油を絞った臭い脂を小皿に入れた行灯で照明をしていた。

ローソクの方がニオイがしないのだが、ローソクは高価であった為に長屋の庶民はイワシを絞った油を行灯の油にしていたらしい。その明るさは・・・40ワット電球の60分の1くらいだったらしく、乾電池で点灯する豆電球よりも暗かったと思われる。

映画やテレビの時代劇ドラマが、多くの日本人に誤解を与えているんだが、江戸時代の長屋の庶民は日没後に暗くなったら寝ちゃったはずです。行灯やローソクに火を点けて明るくしていたのは、吉原遊郭くらいのものだったのではなかろうか・・・

https://www.youtube.com/watch?v=wOE-aMD5ex0
 撮影データ・・・平成27(2015)年2月9日(月)午後5時過ぎ シビックセンター展望ラウンジ
 
展望ラウンジから日没を撮影したり見ている人が20人くらいいましたので、あまり大きな声では呟けないから、ささやき声になってます(^ω^)

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1816

Trending Articles