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Channel: 藪井竹庵
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礫川 雪の旦

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イメージ 1 富嶽三十六景と云うのは、以前の富士山の記事でも言及しましたが、葛飾北斎(1760~1849 享年89)が、各地から見た富士山を描いた作品です。

北斎は海外に於いて最も有名な日本人画家と思われます。事実、1999年の米国の写真月刊誌ライフの企画「この千年で最も重要な功績を残した世界の人物百人」で、日本人で唯一北斎が86位に入りました。

藪さんはついうっかりしていたのですが、なんと北斎は藪さんの地元の小石川の牛天神から富士山を描いていたんですねぇ。それが富嶽三十六景の11番目の「礫川(こいしかわ)雪の旦(あした)」です。

富嶽三十六景の内、雪の情景を描いたのは「礫川雪の旦」だけであり、神社から描いたのはその一枚だけらしい。

北斎が富嶽三十六景を描いたのは、63歳の時から73歳の十年間だったらしい。そこで地元の地形を熟知している藪さんの好奇心がむらむらと湧いてくる(^∇^)

北斎は生涯で93回も転居したらしい。志ん生もビックリだね。おまけに志ん生の18回よりも多く、30回も名前を替えたらしい。そう云うところから藪さんには、志ん生と北斎ってイメージがダブってきます。

北斎は究極の面倒臭がり屋で、絵を描く事以外にはまったくの無頓着だったらしい。衣服も気に掛けず着流しに草鞋か草履だったらしい。

そこで疑問に思うのは「礫川雪の旦」の絵なんです。民家の屋根には雪が積もっている状況。春日通りの富坂にも当然雪が積もってますよねぇ。富坂ってのは靖国通りの九段坂よりも急坂なんです。

先代 金馬さんの話によると、富坂下には押し屋と云う人がいて、雪で滑って富坂を登れない人を有料で押して行くと云う商売があったそうです。

北斎の時代の幕末にもそう云う商売があったかどうかは知りませんが、老齢の北斎が草鞋履きで雪道の富坂を登れたとは思えないのですが・・・(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=FCDOPOQUrzI
 撮影データ・・・平成29(2017)年1月18日(水)お昼 小石川牛天神(北野神社)

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