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Channel: 藪井竹庵
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江戸芸かっぽれ

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 「かっぽれ」と云う踊りのルーツは、江戸時代に大阪の住吉大社で行われていた住吉踊りです。その踊りを江戸に広めたのは、豊年斎梅坊主(1854~1927)と云う神田から下谷の下町で、変な踊りをして門付けをしていた願人坊主(がんにんぼうず=あほだら経と云う変なお経を唱えて門付けをしていた乞食)でした。

 名優と云われた九代目 市川團十郎(1838~1903 浅草寺境内に「暫」の鎌倉権五郎の銅像がある)は、豊年斎梅坊主に教えてもらって「春霞空住吉」と云う歌舞伎でかっぽれを踊りました。

 団十郎さんより前に寄席の高座で後に「ステテコ」の語源になった変な踊りをやったのが初代 三遊亭圓遊(1850~1907)でした。圓遊は、本格派の圓朝(1839~1900)の弟子でありながら、落語をやった後に立ち上がって着物の裾をはしょって噺家の下穿きを見せて、「ステテテテ~」と云う奇声を発しながら、変な踊りをやりました。それはのちに「ステテコ踊り」と呼ばれました。

 もちろんそれは当時の噺家の常識としてはご法度だったのですが、本格派の噺家よりも受けて寄席に客を呼びました。ラッパの圓太郎や釜堀の談志らと共に、明治の寄席の珍芸の四天王と呼ばれました。圓遊はその珍妙な踊りを門付けに来た願人坊主から教わり、寄席芸として定着させました。

 もう一人忘れてはならないのが桜川ぴん助(1897~1987)です。豊年斎梅坊主の弟子になり、幇間芸や寄席芸としてのかっぽれを確立しました。留さん文治のような風貌の初代 ぴん助さんを、藪さんはテレビで見た事があります。幇間芸の定番の襖芸なんかをやってました。

 浅草演芸ホールの八月の二の席(11日から20日)の落語協会の番組で住吉踊りをやってますが、それは、操り踊りで有名な八代目 雷門助六(1907~1991)が、志ん朝や金馬などに教えたものが現在にまで伝わってます。

 撮影データ・・・平成30(2018)年10月20日(土)午後一時 藍染町

 ちなみに文楽の「深川」の踊り。噺家とは粋でなくてはいけません(^∇^)https://blogs.yahoo.co.jp/yacup/60990803.html

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