白山通りと云うのは東京のど真ん中を南北につなぐ幹線道路です。
日本橋から出発した江戸五街道のうち、本郷通りは白山上で白山通りと合流し山道で京都まで行く中仙道になりました。江戸城のお膝元にあったのが、現在はその一部が東京ドームシティになっている広大な水戸藩邸でした。
徳川御三家の水戸家の藩主は頻繁に藩邸から江戸城へ出仕していたはずです。一番近い祝田門までは大名籠で下に~下にとゆっくり白山通りを通って十分くらいだったはずです。
藪さんが中学生の頃までは白山通りには都電が通っていました。藪さんはラジオ番組への葉書投稿職人でしたから、映画の試写会の券をもらって週に二日は、丸の内や虎の門や銀座地区にあった映画の試写会場に、往復25円の都電切符で通ってました。
プレスリーのファンクラブに入って、学生服を来て月例会に行きました。学校には内緒です。当時の学則では意味不明なんですが、若い小僧がそう云うお楽しみをしてはいけないってなってたんです。
って事で藪さんの子供時代ってアカデミックな不良少年だったのかもしれません(^ω^)
相変わらずマクラが長くて申し訳ない。藪さんは何度も調査をしましたが、白山通りでツバメが子育てをしている場所は、旧西片町のペンキ屋さんしかありません。
数年前にペンキ屋さんの社長にお話を伺いましたが、もう30年以上この場所でツバメが子育てをしているとの事。ツバメのメスは気に入った場所にしか産卵床を作りません。
去年は一番手前の梁の棚で二回子育てをしましたが、数年前は二列目の梁の棚でした。今年は三列目の梁のちょっと斜めってる棚に産卵床を作って卵をあっためてます。
工場の中には勝手に入れないので、数年前にこの会社の社長に案内してもらって工場の中を見たら、十ヶ所以上の場所に棚が設置されてました。それらのすべての棚は、産卵床の土が下に落ちないようにツバメが自然の産卵床を作ったあとに設置したとの事でした。
都会でのツバメの子育てってのは、都市近郊での子育てとは違うんです。より人間に依存している訳なので、ちゃんとしたサポーターがいなかったらやがてツバメは絶滅危惧種になるかもしれません。
撮影データ・・・令和元(2019)年5月15日(水)午後5時20分 ペンキ屋さんの中