不忍池の弁天堂前の露店は、食べ物や飲み物関係の屋台が並びますが、南側の下町風俗資料館のある並びに骨董市と称した露店が幾つも出ていたので、藪さんもちょこっと覗いてみました。
珍しいからか、外人さんなんかで日本の「ごみ」を買ってる人も中にはいましたが、日本人客でごみを買う人は志ん生くらいしかいないでしょう。衝動買いするけれども一週間ですぐに飽きちゃう志ん生は、そのごみを黒門町の文楽の家へ持っていって質入れして文楽から金を借りていたらしい。文楽は貧乏な志ん生が金を持って品物を受け出しに来ない事は判っていたけれども、志ん生が欲しいだけの金を貸してあげました。
やがて文楽の家の一室は志ん生が持ち込んだガラクタでいっぱいになってしまった。戦後、志ん生が売れ出してからは金が出来たので、文楽の家へ品物を引取りに行きました。文楽はもちろん金を持ってきた志ん生に品物を渡しましたが、一つだけ質流れとして返さなかったものがあります。
それは志ん生があまりにも貧乏で、預ける品物もなくて困った挙句に書いた色紙です。こんな貴重なお宝を返す訳にはいかないと、文楽は頑として志ん生の返還要求を断ったそうです。志ん生はそんな恥ずかしいものが世に出ては困ると思ったのだけれども、もちろん文楽はその色紙を自分だけの宝として、世に公表する事はしなかった。
ええ話やなぁ。戦後昭和の大師匠たちってのは、落語だけじゃなくて人間的にもずば抜けていたって事なんですね。志ん生と文楽はライバルだったって世間的には云われてますけれども、二人は無二の親友でした。ほとんど寝たきり老人になっていた81歳の志ん生は、79歳で文楽が死んだと云うニュースをテレビで見て号泣したと、一緒に日暮里の家に住んでいた長女の美津子さんが語ってます。
最近は気が向かなくて落語の記事をまったく書いていない藪さんですが、こう云う、落語の側面的な記事も面白いかなと思ってます。以下の動画はあまりにも長くてくだらないので上下の二分割にしましたが、興味のない方にはまったく詰らないと思います。でも落語好きの方なら藪さんがアドリブで語っている内容が、どの落語を出典としているのかってのが判って、結構面白いのではないかと思います(^ω^)
藪さん歩 上野骨董市(上)
。映像データ・・・平成26(2014)年4月9日(水)お昼 上野不忍池骨董市
藪さん歩 上野骨董市(下)