その意味では、名奉行だったと云われている大岡越前守忠相(ただすけ)のお裁きを扱った、大岡政談と云うご都合主義のハッピーエンド物語は、落語には取り入れやすく、大岡越前の名前を出していなくても基本的には講釈根多の大岡政談がベースになっている訳です。
「小間物屋政談(小間物屋小四郎)」と云う演目も大岡越前根多で、ご都合主義の権化とも云えます。
江戸時代には、携帯電話と云うものが無かったから・・・また、何処へ行くにも歩いて行き、日数が掛かったので様々な問題が発生しました。「小間物屋小四郎」とは、そんな感じの噺です。
江戸~長崎往復が、歩いて50日と云うのは、ちと早過ぎないかと思いますが・・・
江戸時代の旅人は健脚で、日に十里(約40キロ)は歩いたと云われますが、それにしても江戸・長崎間は、三百里もありますので、かなりの強行軍になってしまいます。
志ん生の「小間物屋小四郎」は「小間物屋政談」と云う、江戸南町奉行=大岡越前守(北町奉行で有名なのが彫物判官と云われた遠山の金さん。越前は少しの期間ですが北町奉行もやってます)が出て来る演目の前半部分です。
それにしても「三方一両損」にしろ、江戸落語に出て来るお奉行様は、南町奉行が多い。北町奉行の遠山の金さんが出て来る演目は、咄嗟には思い浮かびません。もしかしたら、そう云う演目は無いかも知れません。それを考察してみるに・・・
落語に出て来るお奉行様ってのは、頓智裁きが主体となっていますので、映画やテレビの時代劇ドラマに依って作られたイメージではありますが・・・桜吹雪の彫り物(刺青ってのは罪人に対して無理やり腕に黒い輪を入れるもので、好んで絵を入れるのは彫物と云います)を見せて、被疑者を威圧して自白に追い込むスタイルの金さんよりも、俗に大岡裁きと云われるように、規則にとらわれずに温情あるお裁きをする越前の方が、受けもいいし、噺が作りやすいからなのかも知れません(^∇^)☆
。データ・・・五代目 古今亭志ん生(1939年襲名) 明治23(1890)年6月28日~昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生(1934年襲名) 本名=美濃部孝蔵 出囃子=一丁入り 落語協会第四代会長(1957~1963) 紫綬褒章(1964) 勳四等瑞宝章(1967)
この後の展開は・・・大家にこうなっちゃったんだから仕方ないので、女房と別れてどっかへ行っちゃえと云われた小四郎は・・・冗談じゃねぇやって事で、奉行所へ訴え出る。現在ではそんな民事事件を検察庁は取り上げませんが、落語の世界のお奉行様はよっぽど暇なのか、大工の家賃トラブルを初め、このような重婚問題も取り上げる(^ω^)
大岡裁きはどうなったか? 小四郎を元の鞘に収めると今度は後添えの三五郎の立場がなくなるので、小四郎を芦の湯で死んだ若狭屋の後添えに収める。若狭屋は小四郎の店よりも大家で、器量良しの後家さんなので小四郎はお奉行様に感謝して「これだけの身代を下さるとは、お奉行様へのご恩は一生掛かっても背負いきれません」と云った。
するとお奉行様は・・・「な~に、お前はもうこれだけの大きな店の主人なんだから、今までのように(小間物を)背負う必要はない」。誠に落語とはファンタジーの世界ですなぁ(^ω^)
それにしても「三方一両損」にしろ、江戸落語に出て来るお奉行様は、南町奉行が多い。北町奉行の遠山の金さんが出て来る演目は、咄嗟には思い浮かびません。もしかしたら、そう云う演目は無いかも知れません。それを考察してみるに・・・
落語に出て来るお奉行様ってのは、頓智裁きが主体となっていますので、映画やテレビの時代劇ドラマに依って作られたイメージではありますが・・・桜吹雪の彫り物(刺青ってのは罪人に対して無理やり腕に黒い輪を入れるもので、好んで絵を入れるのは彫物と云います)を見せて、被疑者を威圧して自白に追い込むスタイルの金さんよりも、俗に大岡裁きと云われるように、規則にとらわれずに温情あるお裁きをする越前の方が、受けもいいし、噺が作りやすいからなのかも知れません(^∇^)☆
。データ・・・五代目 古今亭志ん生(1939年襲名) 明治23(1890)年6月28日~昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生(1934年襲名) 本名=美濃部孝蔵 出囃子=一丁入り 落語協会第四代会長(1957~1963) 紫綬褒章(1964) 勳四等瑞宝章(1967)
この後の展開は・・・大家にこうなっちゃったんだから仕方ないので、女房と別れてどっかへ行っちゃえと云われた小四郎は・・・冗談じゃねぇやって事で、奉行所へ訴え出る。現在ではそんな民事事件を検察庁は取り上げませんが、落語の世界のお奉行様はよっぽど暇なのか、大工の家賃トラブルを初め、このような重婚問題も取り上げる(^ω^)
大岡裁きはどうなったか? 小四郎を元の鞘に収めると今度は後添えの三五郎の立場がなくなるので、小四郎を芦の湯で死んだ若狭屋の後添えに収める。若狭屋は小四郎の店よりも大家で、器量良しの後家さんなので小四郎はお奉行様に感謝して「これだけの身代を下さるとは、お奉行様へのご恩は一生掛かっても背負いきれません」と云った。
するとお奉行様は・・・「な~に、お前はもうこれだけの大きな店の主人なんだから、今までのように(小間物を)背負う必要はない」。誠に落語とはファンタジーの世界ですなぁ(^ω^)