もし虎造さんが噺家になっていたら、一歳年下の圓生の最大のライバルになっていたかも知れません。もちろんそんな事はありません。かつては大衆演芸の最上位に位置していたのが浪曲であり、最下位に位置していたのが落語だからです。
浪曲と落語の中間が講談だと云えます。浪曲も講談も先生と呼びます。噺家の場合は師匠と云ったりもしますが、その師匠は別に先生と云う意味ではない。「お前」とか「おい!」では、放送に使えないから取り敢えず師匠と云ってるだけであり、「師匠、そこの草履を取っとくれ」とか「師匠、邪魔だからアッチへ行っとくれ」と云うように使います。
浪曲は大衆演芸の最上位に位置していると申しましたが、浪曲師になるには声・節・語りの三拍子が揃ってなければなりません。東京には現在でも、浅草に「木馬亭」と云う浪曲定席があるのですが、残念ながらその三拍子が揃っている人がいないので、虎造さん以降は浪曲が低迷してしまっている訳です。
声や節がダメでも語りが上手ければ講談の先生になれます。六代目 一龍斎貞水(1939~)と云う人間国宝の先生がこのジャンルにはいます。「怪談の貞水」と云われ、現在のこのジャンルの第一人者です。http://www.yougou.co.jp/teisui/
声や節や語りがダメでも、ただ面白ければなれるのが、大衆演芸の最下位に位置している噺家です。三平さんも歌奴の圓歌さんも浪曲が上手くて、落語の中で随分浪曲を取り入れて成功したりしました。でも人の真似をしていたのではダメなんです。虎造さんは、虎造節と云う独特のジャンルを浪曲の世界に築きました。
藪さんの親の世代の日本人はみんな虎造節に酔いしれました。もちろん藪さんだって、虎造さんを聴きながら酒飲んだりすると、涙が止まらなくなる事が度々あります。つまり虎造節とはそれほど素晴らしい演芸だと云う事なんです。
もし米国のブルースマンに虎造節を聴かせたら、彼らは何と云うだろう? 日本にはこんなに素晴らしいトーキング・ブルースがあったのか? 我々のブルースはとてもこれには勝てない・・・って云うに違いない。
http://video.fc2.com/content/20140531ub7wBs7y/&otag=1&tk=Tnprek56WXhORFk9
データ・・・二代目 広沢虎造 明治32(1899)年5月18日~昭和39(1964)年12月29日 享年65 東京・芝白金生れ 本名=山田信一