天心は新しい美術の創造の為に、保守主義や欧米主義を廃し東洋の伝統を踏まえた新しいスタイルを取り入れる方針を貫きましたが、古いスタイルに固執する連中から排斥され、明治31(1898)年に、八年間務めた校長を辞し「日本美術院」を設立し横山大観などの美術家を育てました。
大正2(1913)年、満50歳で亡くなりました。豊島区の巣鴨に近い染井霊園に墓所があります。
しかし天心の経歴を辿ってみると、明治の人ってのは若くしていろんな事をやってるなぁ。藪さんの人生を振り返ってみると、ただ、酒ばっかり喰らって来た感があります。単にのそのそと生きてきて、今じゃビデオ撮影しながら、どうでもいい事を呟くしか能がない(^ω^)
https://www.youtube.com/watch?v=c4s6GZYlIUU
撮影データ・・・平成26(2014)年10月12日(日)午後 台東区谷中
使用機器・・・sony handycam HDR-CX270+カムコーダーサポート(首掛け式一脚)ETSUMI E-6124