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Channel: 藪井竹庵
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め組

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イメージ 1 火事と喧嘩は江戸の華ってんで、東京が江戸と呼ばれていた頃は、随分と火事が多かったようです。その理由は何なのか?

 喧嘩の方は・・・落語にも再三登場しますが「三度の飯よりも好き!」って~お兄いさんがたくさんいらっしゃったらしく・・・何かと云うと小競り合いが多かったようです。でも、皐月の鯉の吹き流しって事で腹には何も無く、遺恨と云うようなものでは無しに、娯楽の一種として喧嘩をしていたようです。

 火事の方は・・・江戸八百八町と云われたくらいで、たくさんの町名がございました。もちろん、現代の超過密都市とは比較にはなりませんが、当時の江戸は百万都市とも云われ、英国のロンドンよりも多くの人口を抱えた都市だったようです。

 ロンドンのような石や煉瓦作りの家屋ではなくて、江戸の民家は安普請の木造の家が密集していた訳ですから、当然ながらチョットの事ですぐに火事になったようです。

 そこで・・・ジャッ、ジャ、ジャ~ン!・・・加藤剛・・・じゃなかった・・・大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)の登場です。江戸の南町奉行だった忠相は、享保3(1718)年に江戸の町に消防団として「いろは四十八組」を組織させました。

 「いろは」は48文字ですが、その文字の組が全部あった訳ではなく「へ、ら、ひ、ん」組は欠番で、その代わりとして「百、千、万、本」組が加えられたようです。その他に、一番~十番組もあったようで、実際には全部で64組あったようですが、調べても判らないので江戸町火消しに実際にあった組名をご存知の方がいらっしゃったら教えて下さい。

 で、お芝居や時代劇に頻繁に登場するのが、何と云っても「め組」ですね。「め組」の音が「恵み」を連想させ、非常にいい響きになっているからではないでしょうか。マツケンさんの「暴れん坊将軍」でも、北島のサブちゃんは、め組の鳶頭(かしら)でした(^ω^)
 。しっかし、あの頃はみんな若かったなぁ。今じゃ藪さん同様に爺さんだ(^ω^)

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