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Channel: 藪井竹庵
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江戸時代のお金

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イメージ 1 落語の判り難さの一つには、通貨価値が不明なところにあると思います。

 落語の時代設定をこの場合江戸時代としますと、幕末の頃には米の値段を基準とした貨幣価値がかなり下落しました。物価上昇とも云えます。

 貨幣価値は時代によって変動するものなので、落語時代の一両が現在の通貨で幾ら? とは、一概には云えません。過去百年をみても貨幣価値の変動は凄まじい。明治23(1890)年生まれの志ん生が三遊亭朝太と云う前座だった頃の百年前と比べると三桁くらいは違います。

 『昔は一円で米が八斗買えた。今思うとハッとする・・・』。とか『下駄の鼻緒何ざ三文で二つ買えた。二束三文て~くらいで・・・』。と云うようなくすぐりが、あまりの貨幣価値の違いに通用しなくなっているような気がします。

 でも、それは近代の爆発的な経済発展に拠るものであり、江戸時代260年間の貨幣価値の変動ははるかに緩やかだったと思われます。

 で、藪さんは学術的な研究発表をするつもりはございません。あくまでも落語に於ける、貨幣価値の研究しかしていません。ご批判を覚悟の上で藪式換算法を書いておきます。

 江戸時代の通貨は、基本的に四進法です。

両(りょう=8万円)
分(ぶ=2万円)
朱(しゅ=5千円)
文(もん=20円)

 ・・・と云う単位で、右上の図がその構成図です(クリックで拡大)。

 一両=四分=16朱=四千文です。

 一両を十万円と換算した方が簡単だろうと仰るかも知れませんが、それは現在の十進法の考え方です。江戸時代の四進法で、一両以下の通貨を暗算するには一両を八万円とした方が簡単なんです(^∇^)

 十両大判(これは豪商などの献上品で、一般には流通していません。現在で云うと「80万円札」と云った感じ)と、一両小判(8万円)。二分金(4万円)、一分金及び一分銀(2万円)。二朱金(1万円)、一朱金及び一朱銀(5千円)。一文銭(20円)と四文銭(80円)です。

 『十両(80万円)盗むと首が落ちる』は、落語にはよく出てくるフレーズです。「九両三分二朱(79万円)までなら打ち首にならない」。『どうしてくりょう さんぶにしゅ』と云うのは、二朱金を想定しての計算です。一朱銀の想定で「どうしてくりょう さんぶさんしゅ」よりも、二朱金を想定した「さんぶにしゅ」の方が語呂がいいからだと思います。

 江戸時代の四進法をご理解いただく為には右の画像がいいと思います(クリックで拡大)。

一両小判。一分銀が四枚で一両。一朱銀が16枚で一両。このセット合わせて三両(24万円)です。

 落語に出てくる主なものは・・・

 千両箱一個・・・8千万円。
 吉原に器量の良い娘が身を売ると五十両・・・4百万円。
 一分(2万円)で仕入れた汚い太鼓を大名が三百両で買った「火焔太鼓」・・・2千4百万円!。
 「大山詣り」で喧嘩をすると二分の罰金・・・4万円。
 「時そば」の屋台の掛けそばが16文・・・320円。
 千両富のくじが一分・・・2万円。
 「大工調べ」で道具箱を形に取られた与太郎の四ヶ月分の滞納家賃一両と八百・・・9万6千円。

 大体現在の貨幣価値と附合していると思われますので、皆さんもこれで換算してみて下さい。

 なおこれはあくまでも一両小判を基準にした金本位制の固定相場制に付いての解説です。「鬼平犯科帳」や「必殺仕置人」にたびたび登場する「小粒」と云うおはじきのような銀の塊は、銀本位制の貨幣であり変動相場制なので、金本位貨幣以上に現代の価値にして幾らなのかってのは説明不能です。

 幾らか判らない小粒で蕎麦屋の飲み食い代の支払いをするのは変ですよね。時代劇で時代考証をしている人も頭を抱えちゃう問題なのですが、藪さんの見解は・・・「当時の支払いはアバウトであった」と、判らないものに付いては逃げちゃいます(^ω^)

 同じ銀の通貨でも、より大きな丁銀などは両替商でその時々の銀相場で、金本位制の通貨と交換していたものと思われます。

この問題は、落語の記事を書く以上どうしても通らなくてはならないので、菖蒲園さんの本店ブログでも様々なご意見がありましたね(^∇^)

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