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当初は、ラウンジ・ミュージックや実力派歌手のバックミュージシャンとして活躍。またリードギターとして加瀬邦彦も在籍していた。メンバーチェンジを繰り返し、1964年には、日本で知られる前のキンクスやビートルズに触発され、どのグループよりもいち早くコピーをするグループ・サウンズバンドに編成、1965年に『フリフリ』でデビュー。以来、持ち前の元気さと明るさでファッションやコメディ、音楽性を兼ね備えた実力派バンドであった。ちなみに『フリフリ』のジャケットには、かまやつひろし(ムッシュかまやつ)が写っていない。これはかまやつが撮影に遅刻をしたため。
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1966年発売の『夕陽が泣いている』が120万枚を超える大ヒットとなり、一躍スターダムに。他に『あの時君は若かった』などのヒット作もある。
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スパイダースは浜口庫之助作曲の作品を堺正章が、かまやつひろし作曲の作品を井上順が歌うのがパターンだった。浜口が日本的な叙情を感じさせる独特のフォーク調の作風なのに対し、かまやつは、乾いたカントリー&ウエスタン風味や無国籍的ロック調の作風で個性を発揮していた。浜口もかまやつも旧来の歌謡曲の作曲家とは一線を画した作風で、これもスパイダースの大きな魅力だった。
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1971年1月の日劇でのステージを最後に解散する。現在も堺正章、井上順、かまやつひろし、井上堯之と云った現在の大物有名人が、個性を発揮した活動を個人で展開している。また福澤幸雄は、レーサーやモデルとしても世界を股にかける活動をしていた事で、「8人目のスパイダース」としてネットワーク的な存在でグループの戦力・原動力となっていた。バンドの名付け親は、かまやつひろしの父、ティーブ・釜萢。
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田邊昭知(リーダー、ドラムス。昭ちゃん)
加藤充(ベース。カッペちゃん)
かまやつひろし(サイドギター、ヴォーカル。ムッシュ)
大野克夫(スティールギター、オルガン、キーボード。克夫ちゃん)
井上堯之(リードギター、ヴォーカル。イノヤン)、のちに渡辺プロダクションに移籍し井上尭之バンドを結成する。
堺正章(リードヴォーカル、リードタンバリン、フルート。マチャアキ)
井上順(リードヴォーカル、サイドタンバリン、パッカーション。順または順ちゃん)(出典=ウィキペディア)
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夕焼け 海の夕焼け 真赤な別れの色だよ
誰かに恋をして はげしい恋をして 夕陽が泣いている
僕の心のように 夕陽も泣いてるのだろう
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真赤な唇のような 夕焼けの空と海の色
あの娘の唇が 真赤な唇が 僕を呼んでいる
夕焼け 海の夕焼け 大きな夕陽が泣いてる