Quantcast
Channel: 藪井竹庵
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1816

スキーバス

$
0
0
イメージ 1 ♪や~まは しろ~がね~ あ~さひを あ~び~て~

って事で、学生さんたちは夜行のスキーバスに乗って、スキー場に翌朝到着して、睡眠不足の状態で楽しいスキーに興じます。宿に一泊して翌日の午前中もスキー。午後に東京に帰って来るようです。何を隠そう藪さんも学生時代にそう云うスタイルのスキーツアーに参加した事があります。

東京を出て夜中にスキー場まで走って行く訳ですから、バスの運ちゃんは経験豊富なベテランじゃないと危険です。どうぞ皆様も信頼できる会社が企画したツアーに参加してスキーをお楽しみ下さい。

と云う事で・・・鰍沢(かじかざわ)と云う落語のオリジナルは、三遊亭圓朝(1839~1900)が、まだ二十代の頃の幕末に、深川木場の材木商、近江屋喜左衛門の家で開かれた、友人たちとの集まり「酔狂連」の三題噺の会で即席に作った作品と云われています。その時の出題は「小室山の護符・玉子酒・熊の膏薬」とも「玉子酒・鉄砲・毒消しの護符」とも、さらには「遊女・熊の膏薬・身延詣り」とも云われていますが、その記録が残っていないので確かな事は判りません。

三題噺と云うのは、あくまでも即興で作るものなので、完全な作品とは云えません。明治になってから圓朝が鰍沢を高座で演じたかどうかの資料を持ってませんので判りませんが、現在、五代目 古今亭志ん生(1890~1973)や、八代目 林家正蔵(1895~1982)や、六代目 三遊亭圓生(1900~1979)の音源で残されているものは、四代目 橘家圓喬(1865~1912)が、圓朝のオリジナルにかなりの尾鰭(おひれ)を付けたものと、晩年の志ん生の説明から伺われます。

四代目 橘家圓喬(たちばなやえんきょう 本名=柴田清五郎)と云う、47歳に満たずして亡くなった噺家さんは、あの志ん生や文楽の前座時代の落語界の第一人者だったようで、よく「名人」の引き合いに出される噺家さんです。圓喬は志ん生が22歳の時に亡くなりましたが、志ん生が心酔した本格派の噺家でした。志ん生は晩年、圓喬に入門したなどと云ってますが、もちろんそれは間違いで、志ん生が入門したのは、圓朝門下で同門の二代目 三遊亭小圓朝(1858~1923)です。つまり前座時代の志ん生は、それほど圓喬スタイルの本格落語をやりたいと思っていた訳ですね。

あらすじ
『初雪や トンビ転んで 河童の子』と云う様な雪ならいいんですが・・・。身延山(日蓮宗総本山久遠寺=山梨県)参詣の商人が、吹雪に行き暮れる。民家を見付け、宿を求める。その家には、山家(やまが)には珍しい27、8の実に、いい女がいた。話をするうちに、商人は神田の生まれですと云い、あなたは? 観音様の後の方にいませんでしたか? 『金龍の 裏は遊女の 目抜きなり』

月の兎花魁(つきのとおいらん)ですか。あなたには会った事がございます。その花魁がどうしてこんなところへ? 心中の成れの果てよ。・・・と話が進み、礼に懐に手を入れたが細かいのが無いので、胴巻きを出して25両包みの切り餅を崩して三両を紙に包んで出す。吉原の遊女だった、お熊と云う女は玉子酒を造って飲ませてくれる。

商人は眠くなって寝てしまう。お熊は亭主の酒が無くなってしまったので、近所で分けてもらうのか外へ。入れ替わりに亭主が戻り、残りの玉子酒を飲んだが、やがて身体が痺れて苦悶する。そこへお熊が帰り、『ちょいと! お前さん! その玉子酒を飲んだのかい? それにはさっき来た客の金を盗む為に毒が入っていたんだよ~』

その話を夢うつつに聞いた商人は、驚いて外へ転がり出た。身体が痺れて来たので、小室で受けた毒消しの護符を雪と共に飲み込む。すると身体が動けるようになり、必死で逃げる。お熊は亭主の鉄砲を持って追いかける。

商人は、富士川の急流の崖まで来て飛び降りた。崩れたいかだの材木につかまって『南無妙法蓮華経』と懸命にお題目を唱えていると、お熊の放った鉄砲の弾が頭をかすめて岩角へカチーン。『あぁ。この大難を逃れたのも祖師のご利益。一本のお材木(お題目)で助かった』・・・

この鰍沢と云う演目は、「あらすじ」をご覧になれば判りますが、真冬の話です。

真夏の暑いさなか、団扇や扇子が波を打つ寄席の中で、圓喬が真冬の噺「鰍沢」を掛け、寒さの描写を演じているうちに、団扇や扇子の動きがピタリと止んだ・・・それを三遊亭朝太と名乗っていた前座時代の志ん生は楽屋で聴いていた(^ω^)

つまりこの演目の内容は真冬なんですが・・・圓喬のような話芸を持った噺家は、夏場に鰍沢をやっちゃう訳ですねぇ・・・冷房代わりに(^∇^)

ちなみに、弾が逸れて何で「助かった」と云うのかは・・・昔の猟銃は単発の火縄銃であるために、咄嗟に猟銃を持ち出したお熊は、火薬と弾丸を持ち出しているはずは無いので、次の弾は撃てないから。それにしても、火縄の火を点ける時間的余裕がお熊にあったのか? の疑問は残るし、先に痺れ薬入りの玉子酒を飲んで寝ていた旅人は、身体が痺れたとは云え外へ逃げる事が出来たのに、後から残りの玉子酒を飲んだ猟師は、身体が痛いと苦悶するってのは・・・科捜研の女や鑑識の米沢さんを悩ませる(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=Fp1EKuq4lw0
 昭和48(1973)年2月28日(水) 第五次落語研究会 第60回公演 正蔵78歳時

データ・・・八代目 林家正蔵 明治28(1895)年5月16日~昭和57(1982)年1月29日 享年87 前名=五代目 蝶花楼馬楽 出囃子=菖蒲浴衣 本名=岡本義 通称=稲荷町 トンガリ馬楽

正蔵はこの演目で、芝居噺の道具立てのように、紙の雪を降らせる演出や、お熊が旅人を追い掛けて行くシーンにお囃子を入れて、サゲをやらずに、そのままフェイドアウトする音源も残してます。

右上の地図の右下をクリックしていただくと拡大されます。オレンジ色のバルーンが小室山。その右横の紫の「A」の場所が鰍沢。真冬の富士川の急流に落ちて材木一本にしがみ付いている旅人。「お題目で助かった」なんてのんきな事を云ってますが・・・私は過去に二回、真冬の本栖湖でキャンプした事がありますが、外気温はマイナス15度くらいになります。テントの中でもマイナス3度でした。私の予測では、多分、この旅人は凍死すると思います(^ω^)

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1816

Trending Articles