また初春の祝福芸として重宝され、御所や高家への出入りが許されていたらしい。それが室町時代以降から徐々に宗教性を失い、猿の芸だけが独立して季節に関係なく大道芸として普及して来たとの事。
江戸時代には全国各地の城下町などに「猿曳(引)」、「猿飼」、「猿屋」などと呼ばれる猿まわし師の集団が存在し、地方や都市への巡業も行っていた。
近世の猿引の一部は卑しい身分とされ、風俗上、身分差別をされる事もあった。当時の猿まわし師は猿飼(さるかい)と呼ばれ、宿屋に泊まる事が許されず、地方巡業の際はその土地の役人や同業者の家に泊まらなければならなかった。新春の厩(うまや)の禊ぎ(みそぎ)のために宮中に赴く者は大和もしくは京都の者、幕府へは尾張、三河、遠江の者とその出身地が決まっていた。
明治以降、近代化と共に大道芸としての伝統芸能と云うのは消え行く運命にあるのか、ご多聞にもれず、昭和30年代には一時絶滅しました。今回取材した湯島天神の「エミさんとタケオ君」のコンビが紹介しているように「反省の太郎・次郎一門」と云ってますので、テレビのCMに使われて有名になった「反省猿」の一門なんでしょうね。
今回の撮影は、11月5日(火)の午前中の分ですが、11月9日(土)に偵察に行った時は、湯島天神の春日通り寄りの広場で、別のコンビが猿回しをやっていました。今年6月の白山神社のあじさいまつりの時にも猿回しが来ていましたが、それも別のコンビだったように思います。
と云う事で少なくとも文京区のイベントには複数の猿回しコンビが出没していると云う事であり・・・だからどうだと云われても困るのですが・・・興味のある方はご覧下さい(^ω^)
今回タケオ君の幾つかの芸を撮影したのですが、残念ながらムービーカメラの充電が不十分だったようで、映像が記録されてませんでした・・・反省! (^ω^)
。撮影データ・・・平成25(2013)年11月5日(火) 午前11時半頃 湯島天神大菊花展
。撮影データ・・・平成25(2013)年11月5日(火) 午前11時半頃 湯島天神大菊花展