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Channel: 藪井竹庵
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読書の秋

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イメージ 1 先日、神保町を町歩きして紹介したテレビ番組で「読書の秋」と云う言葉を久しぶりに聞きました。それは今月4日までやっていた神田古本まつりを紹介する言葉でしたが、何で「読書の秋」なのかと云うと・・・戦後の昭和22(1947)年に第一回が始まり今年で67回を迎えた「読書週間」に関係しているらしい。
 
 ちなみにヤフーブログからはキムチのニオイがして来るだけで、まったく文化の香りがして来ない。この秋のヤフーブログに「読書の秋」とか「読書週間」と云うキーワードが登場したのを見た事がない。
 
 読書週間は、公益社団法人 読書推進運動協議会が主催するもので、毎年、11月3日の文化の日を中心とした二週間(10月27日~11月9日)が読書週間と定められているらしい。暦的には「燈火親しむ候」と云う事で、そろそろ寒くなりますので、外でいつまでも飲んだくれてないで、とっとと家へ帰って電気を点けて本を読みなさいよ・・・っつ~事なんでしょうね。
 
 若い頃には時間のあらん限り万巻の書を読んだ(のはオーバーだが、白髪三千丈と同様の誇張表現^^)藪さんだが、社会人になったら本なんか読む時間がないほど忙しかったし、老齢になってからは目が疲れるし、すぐに眠くなってしまうので、できるだけ本を読まないようにしていました。ハンディカムの取扱説明書でさえ読んでなかったので、先日の湯島天神の猿回しでは、タケオ君の芸が映ってませんでした(^ω^)
 
 先週の土曜日(11月9日)は、雨模様でちょっと寒かったのですが藪ローカルの偵察の為に湯島天神へ行き、そのあと11月15日の二の酉のロケハンに巣鴨の大鳥神社へ行く予定でしたが、龍岡門から入り東京大学の構内を突っ切った時に、そうだ、三四郎池(育徳園心字池)の紅葉はどうなっているだろうかと思い立ち、ハンディカムを持ってまたまたインディ・ジョーンズの如く、三四郎池のグルリの撮影をヨレヨレの足で歩き始めたのですが・・・まだまだ紅葉には早く、しかも池の面を撮影しているとポツポツとお出でなすったので、濡れないうちに超特急で電チャリで帰宅せり。

撮影データ・・・平成25(2013)年11月9日(土) 午前11時半頃 育徳園心字池(通称=三四郎池)
 
 と云う事で三四郎池の記事を書こうと思って、図書館で漱石の新潮文庫の三四郎を借りて読み始めましたが・・・途中何度も眠くなっては断念しってのを繰り返しながら、284ページ中130ページまで読んだのですが・・・百年も前に書かれた文章と云う事もあるのですが、当時の日本人と云うのはそんな考えだったのかってのがあり、生意気な事を云うようだが若い頃とは違って今の藪さんには、漱石先生が41歳の時の明治41(1908)年に朝日新聞に連載(9~12月)された「三四郎」の文章が、少しく幼稚に思えます。
 
 矢鱈と装飾的な事が多く書かれている割りには、その本質が書かれていない。まるで前座がやる落語を聴いているようだ。つまり二階から目薬状態で、本質をズバリ突けばいいのにその回りをグルグルと回っているだけ。42ページの冒頭から始まる、佐々木与次郎が三代目 小さんに付いて語る「小さんは天才である」に続く、初代 圓遊と小さんの幇間の演じ方の違いを述べる七行、三百字足らずの文章を読んじゃったら、もう用はないって感じかな?
 
 若い頃ってのは人生経験が少ないから本を読むとそこに書かれている事が大した事だと思うのですが、49歳で胃潰瘍が悪化して亡くなった漱石先生よりも、藪さんは余計に人生を生きて人間を研究している。だから今、漱石を読むと考えが稚拙だと思える訳で、本なんか読むよりチューハイ飲んで、森羅万象・神社仏閣・政治経済・落語浪曲講談・文学歴史ノンセクションについて考察し、独自の考えを持つ方がはるかに有意義だと思います・・・なんて、たまには生意気な事も書いてみる(^ω^)
 
 参考までに漱石先生が小さん(三代目 柳家 本名=豊嶋銀之助 1857~1930)と圓遊(初代 三遊亭 本名=竹内金太郎 1850~1907)の付いて三四郎の中でお書きになっている全文を引用しますと・・・
 
 ・・・次に本場の寄席へ連れて行ってやると云って、又細い横町へ這入って、木原店(きはらだな)と云う寄席へ上がった。此処で小さんという落語家(はなしか)を聞いた。十時過通りへ出た与次郎は、又
「どうだ」と聞いた。
 三四郎は物足りたとは答えなかった。然し満更物足りない心持もしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。
 小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。・・・円遊も旨(うま)い。然し小さんとは趣が違っている。円遊の扮(ふん)した太鼓持は、太鼓持になった円遊だから面白いので、小さんの遣(や)る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活潑潑地(はっち)に躍動するばかりだ。そこがえらい。
 与次郎はこんな事を云って、又
「どうだ」と聞いた。実を云うと三四郎には小さんの味いが善く分らなかった。その上円遊なるものは未(いま)だ嘗(かつ)て聞いた事がない。従って与次郎の説の当否は判定しにくい。然しその比較のほとんど文学的と云い得る程に要領を得たには感服した。
 
 以上。漢字や振り仮名はそのままのものを使いました。

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