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Channel: 藪井竹庵
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一葉忌

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イメージ 1 樋口一葉(本名=樋口なつ)は、明治5(1872)年に内幸町の士族の家に生まれ、明治29(1896)年に本郷丸山福山町(現・文京区西片一丁目)で、24歳で亡くなりました。「たけくらべ」、「にごりえ」、「十三夜」などの小説が丸山福山町で書かれました。

小学校を首席で終了したのちに退学し、12歳の時の明治17年に下谷西黒門町に移転して家事手伝い。17歳の時の明治22年には負債を逃れる為に兄が住む芝に移転。

志ん生が生まれた翌明治23年には、母と妹を引取り本郷菊坂町へ移転して針仕事や洗濯をして一家を支える。19歳の時の明治24年頃から小説を書き始める。

明治26年、21歳の時に下谷竜泉寺町に移転し雑貨や駄菓子を売る店を出す。22歳の時の明治27年に本郷丸山福山町に移転して、本格的に小説を書き始める。

その二年後の明治29年11月23日午前、肺結核で24歳で死去。未完の日記や四千首に近い和歌、その他厖大な量の原稿が残された。築地本願寺に遺骨が納められ、戒名は智相院釈妙葉信女。

以上は一葉のパンフレットに書かれていた略年譜を藪さんが抜粋したものです。しっかし一葉って、24歳と云う若さで亡くなっていながら、まるで志ん生一家のように波乱万丈な生涯だったんですなぁ(^∇^)

それと藪さんはちょっと勘違いしていたんですが、一葉記念館が台東区にあるので、一葉は台東区で亡くなったんだとばかり思ってましたが、かつての下谷區竜泉、現在の台東区には一年しか雑貨屋をやって住んでただけなんですね。

一葉は、かつての本郷區丸山福山町、現在の文京区西片一丁目で亡くなったので、文京区に一葉終焉の碑があるのは当然なんですね。ただし、藪さんが子供の頃には阿部様の坂と云ってましたが、本郷台地から白山通りへ降りる急坂が現在でもございます。一葉の丸山福山町の家は明治43年の台風による阿部屋敷の崖崩れによって倒壊してしまいました。

https://www.youtube.com/watch?v=kRHFUNq9CaA
 撮影データ・・・平成27(2015)年11月25日(水)午前5時25分 文京区西片一丁目

ぶんぱく

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イメージ 1 「ぶんぱく(BUNPAKU)」と云うのは、文京博覧会の事で毎年、11月の終りの週の金曜日と土曜日の二日間、文京シビックセンター(文京区役所)で開催されるイベントです。

内容的には・・・文京区内の産業・商業・伝統工芸・消費者団体などによる展示・実演・販売です。その他にも各大学のブースや趣味サークルの案内、地方の物産展もございます。

文京シビックセンターは、20世紀末に700億円を超える金を掛けて作られた、当時としてはとんでもない大きさの区役所の建物で、「バブルの塔」だなどと揶揄されましたが、今にして思うとバブルの崩壊前にイケイケで着工されたので、批判を浴びながらもなんとか自費で作る事ができました。

現在、豊島区役所とか渋谷区公会堂等が、建築後半世紀以上経過して建物の老朽化に伴い高層ビルに移行したり着工中ですが、新国立競技場の建設にメドが立たないほど現在の建築費は高騰しています。

だから今作られている公共の高層建築物ってのは、不動産屋に土地を売って等価交換方式で建物を作ると云うスタイルになってます。金を掛けずに区役所は作れますが、その区役所は土地を買った不動産屋が作って分譲した多くの部屋と建物を共同使用している訳であり、定期借地権付き住宅となって、半世紀以上経過して老朽化した建物を建て替えるとなった時に、かなり揉めるんじゃないかと思われます。

相変らず論点がどんどんずれて行く藪さんの記事ですが、チューハイ飲みながら書いてるんですから、飲み屋のヨタ話として読み流してください(^ω^)

と云う事で、文京シビックセンターには地下に駐車場はございますが、文京区には車で来ないでいただきたい。渋滞無しに来れる地下鉄網が発達してますからね。

シビックセンターの最寄り駅は・・・地下鉄丸の内線の後楽園駅。地下鉄三田線の春日駅。地下鉄大江戸線の春日駅。地下鉄南北線の後楽園駅。それにJRの水道橋駅です。都バスは、白山通りを走ってる巣鴨~一ツ橋系統の春日駅。春日通りを走ってる、大塚~上野広小路系統の春日駅。その他には千川通りを走る都バスの系統もあるし、「B-ぐる」と云う小型バスも二系統あります。文京区ってマイカーがまったく必要ない場所なんです(^∇^)

ちなみに藪さんローカルの月極めの駐車場の料金は・・・五万円が相場です。東京都心部の地べたってめっちゃ高いんですよ(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=dRfo4DLVHUQ

伝統工芸

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イメージ 1 伝統工芸ってのは、伝統的な工芸って事でしょ?(^ω^)

伝統芸能なんてのもあるんだけれども、じゃあいったい伝統とは何百年の歴史があるモノなのかと藪さんなら追求します。

ウィキペディアによると・・・伝統工芸とは、長年に亘り受け継がれている技術や技が用いられた美術や工芸の事となっている。長年とは具体的に何年なんじゃい!

国が保護している伝統工芸は、昭和49年法律第57号の「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて、経済産業大臣が伝統工芸品を指定している。

その要目は・・・日常生活で使われている工芸品であり、手工業であり、技術や原材料が百年以上受け継がれていて、一定の地域で産業として成り立っているモノとしている。2012年現在で全国で207品目が伝統工芸品に指定されているらしい。

って事は、橘右近さん(1903~1995)が江戸・明治・大正時代の見世物小屋等のビラ(ポスター)文字を参考にし、橘流寄席文字を作り上げたのですが、それは百年を経過していないので伝統工芸とは云えないね(^ω^)

右近さんは19歳の時に、三代目 小さん門下の柳家さくら(後の三代目 柳家つばめ=漫談の宮尾たか志の実父 1884~1942)に入門し、29歳の時に噺家だった実父や師匠が名乗った柳家さん三を名乗り、後に橘右近と改名。

戦後の昭和24年、46歳の時に噺家を廃業し神田立花演芸場の楽屋主任になる。戦後は寄席が少なくなってしまい、高座のめくりの文字を書く人が廃業してしまったので、寄席文字書家の専業になる。つまり、現在の橘流のルーツはここにあるので、66年の短い歴史ですから伝統工芸とは云えない(^ω^)

立花演芸場が閉鎖された後は、東宝名人会の楽屋主任と寄席文字を担当しました。昭和40(1965)年62歳の時に、当時の落語協会会長だった桂文楽の薦めで橘流寄席文字の家元になりました。

その後は92歳で亡くなるまで、一番弟子の左近さんや四番弟子の右之吉さんなどの、橘流寄席文字の継承者を十数人育てました。

って事でね。チャンスは二度ない(^ω^)

今年のぶんぱくで右之吉さんに藪井竹庵と書いてもらおうと思ってたのですが・・・今年は右之吉さんじゃなかった(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=oe7eFVe3w7I
 撮影データ・・・平成27(2015)年11月27日(金)午前十時半 文京シビックセンター

物産展

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イメージ 1 今年の文京博覧会(ぶんぱく)でも、シビックセンターの地下二階で地方の物産展が行われました。

動画の中で地下一階と云ってるのは、地下二階の間違いです。シビックセンターは真ん中が吹き抜けになっているので、一階から見ると地下二階のフロアが地下一階のように見えてしまうんです。

以前は、デパチカ(食品を売っているデパートの地下)で駅弁大会などと称して、地方の駅弁を売るのが物産展のメインでしたが、近年ではそれに加えて東京のお祭りの時の広場では必ず、地方から野菜や名産品を持って来たり、現場で調理して芋煮や串焼きを売る事が多くなりました。

https://www.youtube.com/watch?v=ntYPtXEGBMA
 撮影データ・・・平成27(2015)年(金)午前10時40分 文京シビックセンター

富士山

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イメージ 1 富士山の標高は、3,776メートル。「みななろ」と憶えました。

富士山は日本一標高が高い山。でも戦前は違った。

「ニイタカヤマノボレ」と云う、真珠湾攻撃のゴーサインの暗号がありましたが、現在の台湾は戦前は日本の領土でしたので、台湾にある新高山(台湾名=玉山)の、3,952メートルが日本一高い山でした。

富士山は何県か? 標高が高いので登るのは危険・・・と云う、藪さんが子供時代の下らないクイズがありました(^ω^)

正しくは富士山の北側は山梨県であり、南側は静岡県です。意外に知られていないのは、富士山の八合目から山頂までは、浅間大社の持ち物であり私有地だから本来は勝手に入ってはいけない。山頂の所有権は様々な争いがあった後に、安永8(1779)年に、勘定奉行・町奉行・寺社奉行の三奉行によって決められた。

富士山は日本一高い山だから、直線距離にして百キロ以上離れた東京からでも、ビルに邪魔されないところからなら見えます。

https://www.youtube.com/watch?v=v9TUroGWM0A
 撮影データ・・・平成27(2015)年11月27日(金)文京シビックセンター25階展望ラウンジ

スカイツリー

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イメージ 1 スカイツリーの高さは、634メートル(「むさし」と憶える)。

昭和33(1958)年に出来た東京タワーの高さが333メートルで、米空母のロナルド・レーガンやジョージ・ワシントンと同じ長さ。スカイツリーは東京タワーよりも二倍ほどの高さの電波塔。

残念ながら藪さんローカルの小石川の低地からは、東方向の墨田区業平にあるスカイツリーは見えません。何故なら、本郷台地と上野台地と云う二つの高台に邪魔されるからです。でもその高台の30メートルほどの標高をクリアできる場所からならスカイツリーを見る事は可能です。

もちろんそのベストポイントは、文京シビックセンター25階にある無料の展望ラウンジです。東にスカイツリー、北に筑波山、西に富士山が見えます。残念ながら南方向は椿山荘のレストランに入らないと東京タワーは見えません(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=KlKTO9gvolw
 撮影データ・・・平成27年11月27日(金)午前11時 文京シビックセンター25階展望ラウンジから東方向
 
しっかし、ヤフーブログ。エラーばっかりが出てホントにやる気がしない。そろそろやめようかと思ってる。

いちょう祭り

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イメージ 1 藪さんの体調は最近になく、足が痛くなくて調子いい。しかしながら、それとは別に体力の衰えを感じている。

足が痛い時でも電チャリは、歩くよりも足への負担が少ないので移動が可能だったのだが・・・最近は運動能力が鈍ってきていて、電チャリを運転するのが危なっかしい。だから長距離の移動が怖い(^ω^)

旧古河庭園とか六義園へ紅葉の取材に行きたいのは山々なれど、電チャリで行く自信がない。さりとて地下鉄で行くには階段の上り下りがあるので、電チャリで行くよりもハードルが高い。

落語の記事なら幾らでも書けるんだが、音源を付けないと記事が完結しないと思ってるので、著作権法の問題があってそれは出来ない。さりとて、藪さんが落語をやった音源を皆様にお聴かせするのは申し訳ない(^ω^)

って事で、二年前に神宮外苑絵画館前のイチョウ並木の取材をした時の動画を、4分弱に短く再編集してアフレコしたのが以下の動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=gI-hx7iERgk
 撮影データ・・・平成25(2013)年11月24日(日)午前11時半 神宮外苑イチョウ並木

クリスマスの日

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イメージ 1 12月7日はクリスマスの日らしい。その由来は・・・テレビを横目で見てるから良く判んないけど、明治時代かなんかに最初に横浜でクリスマスツリーが飾られた日らしい。

今年も東京ドームのウィンターイルミネーションをやってるんだが・・・寒いでしょう(^ω^)

撮影しに行こうとは思うのだが、湯に入ってあったまってからチューハイ飲んで鍋物を突く幸せには勝てないね(^ω^)

去年のクリスマスイブにドームのイルミの取材をした動画を出して勘弁してもらいます。だって、今日は二十四節気の大雪でしょ? 東京にはまだ雪は降ってないけど、北風が寒いですよぅ。イルミよりチューハイに負けちゃう藪さんでした(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=L0z3e-ZNW4E
 撮影データ・・・平成26(2014)年12月24日(水)午後5時 東京ドームシティ

浅草の再開発

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イメージ 1 藪さんは出不精になってます。だって寒いんだもん(^ω^)

若い頃には夜中にマイナス16度にもなる真冬の本栖湖でテントを張ってキャンプした事がありましたけどね。テント内の温度もマイナス3度。いい加減な装備でキャンプしたら凍死する恐れがあります。危機管理能力に優れた藪さんは、二シーズンとも二日目には河口湖の民宿に避難しました。

民宿の水道は夜中には出しっぱなしになってます。な~んでか? 水を止めちゃうと、水道管が凍結して破裂しちゃうからです。真冬の民宿で水道が出ていたら、余計なお節介をして水道を止めちゃいけません。

と云う事でね、年々寒さに対する耐性が弱くなってる藪さんは、取材に行きたくても寒くて行けないんです。だから、毎年12月の17,18,19日の三日間行われる浅草寺の年末のイベントの羽子板市の去年の取材動画で勘弁してもらいましょう。

とは云え、来週の木金土の羽子板市には是非とも取材に行きたい。羽子板市は毎年同じだからどうでもいいのですが、六区の交番裏に楽天地の大きなビルが完成してるので、それの取材に行きたいんです。

藪さんが子供の頃には既に12階(凌雲閣)や瓢箪池はなかった(藪さんは大正時代から生きていた訳ではない^^)けれども、藪さんが子供の頃の浅草と今の浅草はかなり違います。藪さんが子供の頃には雷門と云われている、松下幸之助さんが寄進した大提灯が下がっている、風雷神門は消失後まだ再建されてませんでした。

外国人観光客なんかほとんどいなかったし、浅草演芸ホールなんかなかったし、花やしきは入園無料でした。ウエスタン・スウィングの巨匠でフィドル奏者のバンドリーダーだったボブ・ウィルスは「時はすべてを変える」と歌ったし、ボブ・ディランは若い頃に「時代は変わる」と歌った。

もっと前には浅草寺の境内にも碑がある演歌師の添田唖蝉坊が「現代節」と云う歌で、世の中の移り変わりを歌った。浅草は残念ながら変わり過ぎてしまって、もはや東京を代表する伝統的な街ではなくなっていて、単に観光客が訪れるだけの、魅力のない街になってると思います。

東京を代表する下町ってのは谷根千とか北区の東十条とか、都営荒川線の都電沿線の街なんじゃないかなぁ?

https://www.youtube.com/watch?v=UnGwsw_XSY4
 撮影データ・・・平成26(2014)年12月17日(水)午後二時頃 台東区浅草寺

靖國神社のイチョウ

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イメージ 1 靖國神社のトイレに爆発物を仕掛けた南朝鮮人が再び来日して日本の警察に逮捕されたらしい。

もう一回爆発させるための機材を持ち込んでいたとの事なんだが、藪さんにはそう云うバカの行動はよく判らん。

逮捕された理由は目的もなく靖國神社に立ち入った・・・って事なんだが、そんな事では公判には持ち込めません。藪さんは年間に何度も靖國神社に行きますが、撮影目的ってのは逮捕されない理由になるのか?(^ω^)

日本人ってのはほぼ単一民族だから、外人との見分けがすぐに付きます。中東系の奴がたむろしていたら怪しいって思うんですよ。藪さんが一ヶ月前にドームのイルミの取材をした時もそう云う連中がいたので、藪さんは自警団を組織しなければならないと考えていた矢先に、パリのテロ事件が起こっちゃった。

移民を受け入れない日本は経済国の責任を果たしていないと云われるけれど、それによってテロの危険性がもっとも低い国になっているって事を考えなくてはいけない。

批判はあるかもしれないがはっきり云って藪さんは日本人より賢く平和を希求している民族はいないと思います。争いを好む野蛮な民族を日本に移住させるべきではないと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=iyOF2vNYVCU
 撮影データ・・・平成26(2014)年11月23日(日)午前10時前 靖國神社

老後の楽しみ

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イメージ 1 「老後(ろうご)」ってのは何歳くらいからの事を云うのだろうか?

藪さんは出来るだけ正確な日本語を使いたいと思っているので、「老後」と云う言葉にはちょっと疑問があります。ワイ・ジャパニーズ・ピープル!(^ω^)

厚切りジェイソンじゃないけれど、漢字を正確に読み解くならば「老後」とは「老いた後」ですよねぇ。って事は死んでるって事?

前期高齢者とか後期高齢者なんて言葉も良く判んないなぁ。藪さん的には「老後」ではなくて、「ご隠居」とか「長老」と云う言葉を使うべきだと思います。

まあそれはさて置き。老後はどう云う事が楽しいか? 藪さんのように何年も人間やってると、あらゆる事を経験してきちゃっていて、面白い事なんか一つも無いんだよ。今の噺家なんか下手糞で聴く気にならんし・・・

フォークシンガーの加川良(かがわりょう)が、40年以上前のまだ20代前半の若い頃に「(老後には)アルバム眺めて暮らしましょう」って歌ってた。同世代の藪さんは、何を云ってんだこの野郎・・・なんて思いましたが・・・

老後になった藪さんが今にして思うのは・・・身体が衰えてきて頻繁に取材に行ける訳ではないから、過去に取材して来た動画を見るのが楽しみなんだよね。と云う事は、若い頃の加川良は40年後の事を見通していたって事ですね(^∇^)

手前味噌で申し訳ないけど、藪さん動画って本当に楽しいね(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=HUiQ92giE8U
 撮影データ・・・平成26(2014)年12月24日(水)午後5時半 東京ドームシティ

職質とテロ

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イメージ 1 職質(しょくしつ)と云うのは職務質問を短縮した業界用語(^ω^)

テロと云うのは・・・テロルとかテロリズムの略で、暴力行為あるいはその脅威によって、敵対者を威嚇する事らしい。

その意味を考察すると、日本国憲法第九条に書いてある事と符合します。つまり憲法九条ってのは、日本はテロ行為をしないと云う事なのか?

もちろん違いますよね。テロと戦争と云うのは別のものなんです。戦争と云うのにはルールがあります。戦争は軍隊と軍隊が国の威信を掛けて戦うものであり、民間人は殺傷しないと云うルールがあるんです。

一方テロってのは、国ではなくならず者集団がほとんど何の主張もなく、自分達の野蛮な殺戮感情を満足させる為に無差別に一般市民を殺戮する行為であり、どんな神であれその行為は許しません。

バカな放送局の中には、今だにイスラム国だなんていってる。あんなのはならず者集団であって、国ではないしイスラム教とも無関係です。単なる中東のならず者集団でしかないんです。

藪さんはルールを守った戦争には反対しません。何故なら、日本国憲法の第九条が戦後に公布された時に当時の共産党が唯一反対したように、今の日本国憲法ではヒトラーのような独裁者を阻止できないからです。

社会のルールを守らずに、自分の主張を武力によって行使する国があっても・・・日本は憲法九条によって何もしないんですか? どっかの国がそれを阻止してくれるのを待ってるだけなんですか? それじゃ、日本は藪さんが誇れるような国じゃない。

藪さんは今の安倍総理は戦後のどうしようもない総理の中ではベターだと思います。日本が世界に於いてどのような国であるべきかを、微力ながらも努力していると思います。

もし安倍総理がお爺さんの岸信介元総理のように暴漢に襲われる事の無いように自民党本部前には常に警視庁の警備隊がスタンバイしてるんですね。藪さんのような怪しい奴が自民党本部を撮影していると・・・青い警察車両からプロレスラーのような体格の警備員が出てきて藪さんに職務質問をするのは当然です。

東京ドームシティにも、怪しい中東人がいっぱいたむろしてます。ドームの敷地は個人のエリアなので警察官のパトロールはありません。ドームが雇った警備員がガードしてるんですが、人数は少ないし警察官のような職質はできません。

じゃあ藪さんが東京ドームを守る為にパトロールするしかない。でも寒いんで行かない。中東の工作員にしたって寒いんで冬場は安全かも知れない(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=BuE5eRr803k
 撮影データ・・・平成26(2014)年11月23日(日)午前11時頃 平河町国会図書館前

冬至

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イメージ 1 今年は12月22日が二十四節気の冬至(とうじ)となっており、冬のど真ん中と云う理解でよろしいか?

半月ごとに「立冬」、「小雪」、「大雪」ってのがあって「冬至」になる訳ですね。そのあとが「小寒」、「大寒」となって「立春」になる訳です。

冬ど真ん中と云っても今年はエルニーニョ現象が強く、北寄りの風による寒い日もありますが、概ね暖冬のようです。とは云え、今は真冬であり寒さへの備えをしなくてはなりません。

と云う事でね。昨日は藪さんは、百円ショップで耳カバーとネックウォーマーを買っちゃった(^∇^)

藪さんは一週間ほど前から冬眠モードに入っちゃってて、どっかの湯治場へ冬の間中篭りたい(^ω^)

しかしながら、寒さに備えた取材体勢は万全だけれども、どうも取材に行く気力が衰えてきている。それに運動能力が衰えてきているので、電チャリの運転が危なっかしい。普通に走っている分には問題はないのだが、一時停止する時が危なっかしい。

おかげ様でサプリメントを飲んでいる影響なのか、ほとんど足は痛くなってないので電車であちこち行けるように、階段の上り下りに対処する為に足を鍛えねばならない。

電車に乗れるようになれば、取材範囲も広がるのだが・・・どうして電車ってのは階段ばっかりなんだろう。足が痛くて階段の上り下りが出来ない老人の事をまったく考えてないね。

しかし文京区恐るべしで、なんと九ヶ所で一年365日、朝6時半からラジオ体操をやってるんですよね(^∇^)

https://www.youtube.com/watch?v=f0qRpOA07lg
 撮影データ・・・平成27(2015)年1月7日(水)午前6時25分 文京区教育の森公園

天皇誕生日

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イメージ 1 今日、12月23日は天皇誕生日で祝日です。藪さんが子供の頃には祝日の事を旗日(はたび)と云ってました。つまり日の丸の日本国旗を掲げる日だったからです。

天皇皇后両陛下は同い歳で82歳です。お二人で毎朝皇居内をジョギングなさっている姿をテレビで拝見しましたが、藪さんよりはるかにお元気なご様子に安心しました。

藪さんはと云えば・・・コンドロイチンとかグルコサミンと云うサプリメントを三ヶ月間飲み続けたおかげで、何とか現在は右足首の関節痛は治まっているのですが、一難去ってまた一難で、足指やくるぶしの関節部分の皮膚がひび割れると云う、あかぎれのような症状が出てしまい、オ○ナイン軟膏をベタベタと塗ってるのですが、なかなか完治しなくて痛みを堪えてヨチヨチ歩きしかできません(^ω^)

人間誰しも不老長寿を求めますが、健康だからこそ長生きに価値があるのであり、藪さんのように不健康な状態で長く生きてるってのは非常に苦痛です。今年の夏は初めて体調不良で一ヶ月間も寝たきり状態を強いられましたが、いっそ殺してくれと思ったほど、あんなに悔しくて落ち込んだ時期はなかった。

芥川賞作家の開高健(かいこうけん)さんは、都会の生活に疲れてアマゾンやアラスカやモンゴルに釣りに行くと云う釣り師になりましたが、自由奔放な生活をした末に60歳で亡くなりました。美食家としても見事な死にザマだったと思います。

藪さんは・・・落語の「寝床」のフレーズじゃないけど・・・「因果と丈夫」でして、今だに生きているってのは世界の七不思議(^ω^)

冬至に柚子湯に入ったりするので、神のご加護があるのかも知れません(^∇^)

https://www.youtube.com/watch?v=B4Wam32E3O8
 撮影データ・・・平成27(2015)年1月12日(月)午前6時過ぎ 文京区大塚公園

メリー・クリスマス

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イメージ 1 巷では・・・今日はクリスマス・イヴだそうで・・・

「イヴ」ってのは、私の記憶が定かならば、確か「イヴニング」の短縮語ではなかったか?

つまり「クリスマスの夕べ」って事ですね(^ω^)

まあ一般的な理解は「クリスマスの前日」って事になっているようです。

そんじゃあ「クリスマス」って何月何日の何時何分の事を云うのだろう?

まあ藪さんはクリスマスの専門家じゃないのでそんな事は判らないけれど、子供にとっては、12月24日に寝て25日の朝に起きると枕元にクリスマス・プレゼントが置かれている。それはサンタクロースが持って来たものだ(^∇^)

って事でいいんじゃないですか?(´,_ゝ`)プッ

だから藪さんは、クリスチャンでもない日本人がクリスマスを祝うんだから、「クリス祭り」だと云ってるんです。イルミがチカチカする神輿を担ぐ。もちろん衣装は赤と白のサンタクロース。掛け声は・・・ジングル兵衛~ジングル兵衛~・・・(^ω^)

アイ・ウィッシュ・ユア・メリ・クリスマス。皆様の楽しいクリス祭りを希望します=藪井竹庵訳(^ω^)

って事でね。グルコサミン様やコンドロイチン様のおかげで、藪さんの右足首の関節痛は何とか治まっているのですが、その代わりに両足のひび割れと云う症状が出てきてしまって、現在はまったく歩けない。

朝起きた時に両足にひび割れがそれぞれ五ヶ所くらいできていて、痛くて起き上がる事が出来ない。風呂場まで這って行き湯に浸かると、皮膚がふやけるからか痛みが治まる。湯から出るとヒビケアと云う軟膏を塗っている。

動くと痛いので、そのまま動けない。チューハイ飲むと眠くなるので寝ちゃう。起きると足がひび割れていて這って風呂へ・・・それの繰り返し。

一日中足湯をやり続けるとか、足が乾燥しないようにラップを巻き付けるとかの方法を考えているのだが、とにかくこの苦境を何とかして乗り越えないと、過去動画を使ったネガティブ(消極的)な記事ばかりになってしまう。そんなのは藪さんが書くべき記事じゃない(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=wl-wllG2upw
 撮影データ・・・平成27(2015)年11月10日(火)午後九時 東京ドームシティ

ジス・イズ・クリスマス

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イメージ 1 ♪ソー・ジス・イズ・クリスマス。アンダ・ハッピ・ヌ~ヤ~・・・その次の歌詞は何だっけ? 忘れちゃった。すいません。ジョン(^ω^)

さあ、クリスマスだっぺ。よい新年を・・・藪井竹庵訳(^ω^)

って事でね。あのベトナム戦争でもクリスマス停戦ってのがありました。ベトナムは仏教国でキリスト教国ではないけれども、大日本帝國軍が先の大東亜戦争に於いてインドシナ半島から欧米の侵略者を追っ払うまでは、ベトナムは長い間フランスの植民地だったので、占領下の日本と同じようにクリスマスにはプレゼントをし、ケーキや鶏肉を食うと云う習慣が根付いていたのかも知れません。

ベトナムと鶏肉と云うキーワードで思い出すのは、粋なフランス小噺です。

南ベトナム兵士と米軍兵士がベトコンがいる地域を突破する時に、食料として持って来たニワトリが騒ぐといけないのでニワトリを殺せと米軍兵士が云ったら・・・南ベトナム兵士は・・・今殺したらニワトリの味が落ちる(^ω^)

藪さんはこう云う薀蓄のある小噺が大好きだ。味なんか気にしないガサツな米国人とは違って、フランス文化を受け入れたベトナム人はグルメなんです(^∇^)

んで、取材に行けないのでどう云う動画を出そうかと考えた。近年はモヤ藪動画ばっかりをやっているからと云って戦後昭和の大師匠たちの素晴らしい落語を忘れた訳ではない。今の落語なんて彼らの落語に比べたら・・・新鮮な鶏肉ではないので味が落ちる(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=6qHGHi0w_yE
 データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日~昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 本名=美濃部孝蔵 紫綬褒章 勳四等瑞宝章

データ・・・三代目 三遊亭金馬 明治27(1894)年10月25日~昭和39(1964)年11月8日 享年70 前名=圓洲 出囃子=本調子鞨鼓(かっこ) 本名=加藤専太郎

ちなみに右上の写真の説明が昭和37(1962)年の鈴本の楽屋となっているのですが、昭和37年ってのは志ん生の病後です。11月11日に新宿末広亭の高座に復帰しましたが、右半身不随になってしまって一人では歩けない状態でしたから、こんな志ん生の表情はあり得ない。

志ん生研究の第一人者を自認する藪さんの推測は・・・右上の写真は、志ん生が12月15日に脳出血で倒れる直前の昭和36(1961)年冬の東宝演芸場の楽屋のようです。ここで「三代目」と云ってるのはもちろん三代目 柳家小さんの事です。

この動画の最初の写真は、左から・・・
 長男の後の十代目 金原亭馬生。三味線を弾いているのは次女の貴美子(後の三味線豊太郎)。長女の美津子。志ん生。次男の後の三代目 古今亭志ん朝。女房の美濃部りん。

ちなみにこの志ん生・金馬対談は、昭和31(1956)年12月24日に、神田のうなぎ屋「神田川」の二階で録音されたものです。落語界の歴史に残る超ビッグな対談の録音です。志ん生が昭和31年12月に「お直し」で芸術祭大賞を受賞した時の事に付いて言及しています。66歳時の古今亭志ん生と62歳時の三遊亭金馬と云えば、落語を良く知っている人なら、ビックリして座り小便してバカになっちゃうくらい凄い対談です(^ω^)

 
 藪さんはチューハイ飲みながらこの音源を聴くと涙が出てきちゃう。かつてはこんなに凄い噺家がいたんだよね。今の噺家は努力が足りないと思うな(^ω^)

年末ジャンボ

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イメージ 1 藪さんは宝くじは買わない。一等の七億円と前後賞の一億五千万円で十億円だってんだが・・・藪さんは買わないから当らない(^ω^)

何故買わないのかと云うと・・・若い頃に宝くじの当選確率を計算したんです。そしたら、平均的な配当率が42%くらいでした。競馬は寺銭が25%なので、配当率は75%です。

だったら競馬の方がはるかに儲かる。もちろん当ればの話ですが・・・(^ω^)

藪さんはギャンブルはやらない。何故かと云うと・・・自分の運をそんなものに使い果たしたくないからです。藪さんが今生きているのは神様のご加護だと思ってます。藪はまだ社会に貢献していないから殺さない。藪なら多分、ノーベル賞を受賞するほどの社会貢献をするに違いないと神様は思っているに違いない(^ω^)

藪が怠けているから、神様は藪に身体の不具合と云う試練を与えているんだと思います(^ω^)

って事なんだが、藪さんだって何にもやってこなかった訳じゃない。ユーチューブに長い落語動画が上がるようになったのは、藪がそのスタイルを作ったからだと思ってるし、今だって、著作権法に違反しない動画のスタイルをチューブに浸透させようと思ってるのだが、なかなか上手く行かない。

最近は落語記事を書かなくなっちゃったし、落語をほとんど聴いていない。志ん生の落語動画は四本残っているのだが、おかめ団子、風呂敷、鰍沢は浮かんだのだが、どうしても岸柳島が思い浮かばなかった。

そればかりではなく、落語の演題がなかなか思い浮かばなくなってしまった。やっぱり脳が劣化してるんだねぇ。かつては二千演目くらい簡単に思い出せたのに・・・

八代目 桂文楽(黒門町の師匠)は、79歳の時の落語研究会の8月の高座で十八番の「大仏餅」を掛けたのだが・・・登場人物の神谷幸右衛門の名前が出て来なくて・・・勉強し直して参ります・・・と云って高座を降りてしまい、それ以降は高座に上がらす、百日後の12月に肝硬変で亡くなった。

既に病床にいた志ん生は、散々世話を焼かせた女房のおりんさんが亡くなった時には、明治男の意地として泣かなかったが、その三日後に文楽が亡くなったと云うニュースをテレビで見た時は号泣したと云う。みんな死んじゃうってね。81歳の病床の志ん生の辛さが藪さんには判る。

でまあ、年末って事で、文楽の「富久」を聴いてみよう。例によって客無しの白黒映像には出囃子が入ってないので、藪さんが出囃子を付け加えておきました(^∇^)

https://www.youtube.com/watch?v=p_YmcerXjto
 データ・・・八代目 桂文楽 明治25(1892)年11月3日~昭和46(1971)年12月12日 享年79 前名=翁家馬之助 出囃子=野崎 紫綬褒章 勳四等瑞宝章 本名=並河益義 通称=黒門町

 
 まあこんなマニアックな記事にコメントする人はヤフーブログには少ない。だから藪さんは落語の記事を書くのをやめたんだ(^ω^)
 
 この文楽の落語を聴いても酒飲むと泣き上戸になる藪さんは泣いちゃう。戦後昭和の大師匠ってのは、浪曲の虎造さんもそうだけど、語りで客を泣かせる事が出来る話芸を持ってたんだよね。その意味からすると今の噺家なんて、人を感動させる噺が出来てないよね(^ω^)

暮れの落語

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イメージ 1 まあ暮れですから、あんまりワサワサしないで事故の無いように家でゆっくりと落語でも聴いて過ごす方が金も掛からないし安全です(^ω^)

でも借金のある方は、その算段をしなければなりません。とは云え、現在は掛売りってのはないので暮れに掛取りが来る事はありません。

暮れの落語ってのは幾つかあります。代表的なものは・・・

穴泥・・・年越しの銭を借りておいでと女房に云われ、成り行きで泥棒と間違われる。
掛取り・・・掛取りの趣味に合わせて撃退する。
御慶・・・年末の富くじに当り、形(なり)を整えて年始回りをする。
芝浜・・・大金を拾ったが、女房の機転で夢にし、棒手振りの魚屋から店持ちの主人になる。
尻餅・・・正月用の餅を搗いてもらう金がないので、近所への見栄として女房の尻を叩きその音を聞かせる。
富久・・・火事で焼け出されたが、富札が見付かり千両分限となる。
睨み返し・・・掛取りを恐い顔をして追い返す。
猫の恩返し・・・博打ですってしまった魚屋に猫が小判を咥えてきてくれる。
厄払い・・・ぶらぶらしている与太郎が、年末のアルバイトに厄払い。

思いつくのは以上なんですが・・・この他に明らかに年末を語っている演目ってありましたかねぇ・・・「二番煎じ」や火事関係の演目は冬の根多ではありますが、特に年末に限定されたものではないですからね。

藪さんローカルでも、町内の鳶が道路にテントを設置して、火の用心の夜回りをやってくれています。燗をした酒や猪鍋を差し入れしてやってもいいのですが、もし火事でも出ちゃうと道義的責任を負わなくてはならないので、秋祭りの時に奉納金を張り込めばいいでしょう。

藪さんはかつて十個以上のIDを使って五百以上の落語動画をチューブに上げたのだが・・・規制が厳しくなってそのほとんどが削除されてしまい、残ってるのは僅かです。

この「睨み返し」と云う演目は、落語ならではのバカバカしい噺です。先代の八代目 三笑亭可楽の怖い顔の写真が有名ですが・・・この演目は怖い顔じゃないとできません。先代の五代目 柳家小さんと云えば「味噌汁のお爺さん」として有名な、円満な丸顔です。

その小さんがどう云う顔をするかってのが面白い演目です(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=_NfY6r_IDk8
 データ・・・五代目 柳家小さん 大正4(1915)年1月2日~平成14(2002)年5月16日 享年87 前名=九代目 小三治 出囃子=序の舞 本名=小林盛夫 北辰一刀流七段範士 生前は落語界初の重要無形文化財(人間国宝)

藪さんが何故チューブに落語動画を上げたくなくなっちゃったのかと云うと・・・チューブ動画を見てる連中ってのは、落語を理解してない馬鹿が多いからなんだ。

志ん朝動画を上げると、「きらい」と云う評価が二割以上ある。志ん朝が嫌いでどう云う落語が好きなんだと云いたくなります。この動画の最後に小三治の睨み返しの画像を入れたんだが、それさえも批判がある。

馬鹿者! 藪さんは二度と馬鹿ばっかりしかいないチューブに落語動画を上げてやんない。落語ってのは受け継がれてきた庶民文化なんだよ。可楽から小さん。そして小さんの弟子の小三治に受け継がれていると云う藪さんの意図を理解できないのか?

年の瀬

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イメージ 1 「年の瀬(としのせ)」と云うクラシックな用語は、最近はあまり耳にしませんが、今日12月29日ってのは、28日の仕事納めも終った事だし、正に年の瀬と云えるんですよ(^∇^)

年の瀬の藪さんはと云えば、アメ横の混雑状況とか不忍池の野鳥の飛来状況とか、藪さんの取材の定番のシビックセンターの展望ラウンジや播磨坂や湯島天神や根津神社や、靖國神社や巣鴨地蔵通商店街や・・・取材に行きたいところはいっぱいあるんですが・・・どこにも出かけずにチューハイ飲みながら落語を聴いてウダウダしている方が好みです。

で、年の瀬の落語と云えばいっぱいあるのですが、志ん生動画は残念ながら冬の根多は晩年の鰍沢くらいしか残ってないので、他の噺家ってんで、文楽と小さんを出しました。で、東京落語のエースは何と云っても圓生です。

「掛取り(万歳)」と云う演目は誰でもやるんですが、落語のご通家を納得させる語りができているのは圓生だけです。残念ながらこの動画でさえ、チューブのバカ共は好きが73で、嫌いが8。この動画を嫌いとする8人ってのは落語に何を求めているんだろうか?

藪さんから云わせたら、圓生以上にこの演目をちゃんとできる噺家は一人もいないと思います。この動画を好きとした73人の方はちゃんと落語鑑賞が出来てるんですが、嫌いとした8人のバカを藪さんは相手にしたくないので、もうチューブには落語動画を上げてやんない。ざま~みろ(^∇^)

https://www.youtube.com/watch?v=sZF-258a9So#t=1016
 データ・・・六代目 三遊亭圓生(1941年襲名) 明治33(1900)年9月3日~昭和54(1979)年9月3日 享年79 前名=六代目 橘家圓蔵(1925年襲名) 出囃子=正札附 本名=山崎松尾 通称=柏木の師匠(1957~1971まで新宿区柏木に居住した事による) 落語協会会長(1965~1972) 勲四等瑞宝章(1973)

映像データ・・・昭和48(1973)年12月26日 第70回落語研究会 国立劇場小劇場 圓生73歳時

年末

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イメージ 1 どちら様も、金持ちも貧乏人も、12月30日と云うのは年末です(^ω^)

新年を迎えるのに金がない。さてどうしよう。伊達巻や蒲鉾や、きんとんの様な正月料理を食いたいよね。でも金がないってのは悔しいね(^ω^)

だからって年末に金を貸してくれる人はいない。で、行き掛かり上いろんな厄介な事になって、別に盗むつもりは無いんだけれども、泥棒に間違われちゃった。

盗み酒をして酔っちゃったので、喧嘩を吹き掛けられればそれに応対するのは当たり前。旦那が三両くれると云ったので、こっちから上がって行く(^ω^)

穴泥は志ん生も演じてますが、残念ながら動画が残ってない。文楽も演じてますが、志ん生と甲乙付けがたいほどの出来です。

https://www.youtube.com/watch?v=COhRZHMdtlg
 データ・・・第五次落語研究会 第25回公演 昭和45(1970)年3月23日(月) 78歳時

データ・・・八代目 桂文楽 明治25(1892)年11月3日~昭和46(1971)年12月12日 享年79 前名=翁家馬之助 出囃子=野崎 通称=黒門町

このクリップの加工補足・・・
もちろんこの時代の落語研究会では、出囃子を入れないでやっていたのですが、ぬうっと黒門町が出て来るだけでは寂しいので、野崎の出囃子を追加してクリップを作りました・・・
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