よくこの~連中が戦前の浅草の賑わいの写真を出しますが、それがこの浅草公園六区地区なんです。
多くの活動写真館や劇場が立ち並び、ごった返す客で歩けないほどだったらしい。戦前は東京で最も繁盛した盛り場でした。
なぜ「ロック」と云うのか? 明治になって浅草寺境内を浅草公園として整備する時に、区分けをしたんです。浅草公園第六地区が、公園六区となり単に六区と呼ばれるようになりました。
戦後焼け跡になってしまった浅草では、ヤクザと露天商の神農会とで商売の縄張り争いがありました。圓生も親分として出演した事がある、高倉健さんの「昭和残侠伝」と云う映画でその辺のところが描かれています。
健さんは「エンコ」と云ってましたが、それは浅草公園地区の公園を引っくり返した隠語です。
長いマクラはこの辺にして、六区地区は近年になって平成の再開発が行われました。広い浅草寺境内ですが、警察官が常駐している交番は六区にしかありません。
東京の三大洋画封切館として有名だった大勝舘は、24時間営業のドンキに変わり、交番裏のゴチャゴチャした飲み屋街は、「まるごとにっぽん」と云うビルに変わりました。
撮影データ・・・平成30(2018)年12月18日(火)午後一時過ぎ 浅草六区