Quantcast
Channel: 藪井竹庵
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1816

本郷台地

$
0
0
イメージ 1 「なんだ坂、こんな坂」って事でね、これまで藪さんローカルの地形に付いては何度も文章を書いてきたのですが、「百聞は一見に如(し)かず(=百回聞いたのは、一回見た事に及ばない)」と云う訳で、藪さんが何故電チャリが必要なのかに付いて、一目瞭然に判りやすい地形図が文博を取材に行った時にありましたので撮影してきました。

 文京区の歴史を調べてみると、今の文京区がある場所に人が住み始めたのは、一万八千年前頃の旧石器時代らしい。現在の東京地区では最も早い時代に集落ができ始めたものと思われます。

 と云うのも、文京区内の28ヶ所に縄文遺跡が確認され、本郷台地周辺では古代のゴミ捨て場であった貝塚と、縄文土器が多数発見されているからです。志ん生が生まれる6年前の明治17(1884)年には、向ヶ丘弥生町で発見された土器は、その発見地名から弥生式土器と命名されています。

 なぜ文京区の場所に早くから人が住み始めたのかと云うと、その地形にあります。右上の画像の緑色の部分は低地であり、古くは川と海であったと思われます。水の上には人が住めないので、武蔵野台地の東端の地に人が住み集落が出来たものと思われます。

 藪さんローカルは、白山台地と小石川台地に挟まれた低地です。数万年前には海であったと思われます。何故なら、藪さんは子供の頃、穴を掘るのが好きでウチの庭をおばあちゃんに怒られながら、インディ・ジョーンズの如く矢鱈と掘ってビー玉を隠したりしたのですが、50センチほど掘ると必ず貝殻が出てきました。

 大量に貝殻が出てきた訳ではないので、ゴミを捨てた貝塚じゃないでしょう。浅い海だったから貝殻が出て来るんだと思われます。

 以前にブラタモリでやってましたが、浅草の伝法院の井戸からは貝殻が出てきて、年代測定をすると確か四千年位前のものだったはずです。浅草は新しい時代まで浅い海だったんですね。ですから、浅草海苔と云う海苔の収獲がされていました。浅い海から海苔と云う草が取れたので、浅草と云う地名になったと藪さんは推測します。

https://www.youtube.com/watch?v=C6YvkGkegqU
 撮影データ・・・平成26(2014)年11月22日(土)午後 文京シビックセンター

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1816

Trending Articles