。落語ファンならば、出来るだけ正しい日本語を理解すべきだと思います。藪さんはいつも云ってるんですが、日本国憲法は早急に改正する必要はないと思いますが、中学生にも理解できる正しい日本語に書き直すべきだと思います。
。今の日本国憲法は、GHQ(進駐軍=当時の日本政府には主権はなく、日本の主権はGHQが持っていた)の最高司令官、マッカーサーの承認を得る為に英語で書かれたものを日本語に直訳したモノで、正しい日本語とは云えない。憲法九条なんか、何百回読んでも何を云ってるんだか良く判らない。
。まあそれはさて置き、「お神輿」の意味は?
。「輿(こし)」と云うのは、平安時代などに貴族が乗った乗り物で、ざっくばらんに云えば「駕籠(かご)」のようなものです。神様が乗るから「神輿(みこし)」となる訳です。それに丁寧語の「お」を付けて「お神輿」となる訳ですね。
。田舎の祭りなんぞでは、神輿にヤクザ者が乗ってたりしますが、神様の乗り物に乗るなんざ神をも恐れぬ所業です。「暴れん坊将軍」のエンディングでは、旗本の三男坊の新さんが神輿に乗ってますが、新さんは何を隠そう八代将軍 吉宗な訳で、江戸の祭りは将軍家への感謝なんだから、将軍様が乗っても問題なし(^∇^)
。と云う事で・・・根津神社の本殿右横に展示してございました、六代将軍 家宣(いえのぶ)公奉献の大神輿を台車に乗せて、町火消し木遣りを先頭に、台車に乗せて屋台でごった返すラジオ体操広場を抜けて、表参道から大神輿を根津神社の外へ出したのが日曜日の午前中。
。藪さんは土曜日の取材で疲れちゃってその取材をしていなかったので、去年の記事では一部間違った記述をしています。神幸祭の150人以上の厳かなパレードが根津神社の氏子町会の狭い道路を巡幸しました。
。日曜日の午後の藪さんは、不忍通りのかっぽれパレードの取材をしていたので、日医大病院の坂を下り不忍通りを巡幸した神幸祭のパレードに出くわしたのはその取材後でした。
。祭りの取材ってのはやってみればお判りになりますが、神輿渡御のスケジュールやルートを事前にチェックしておかないと、取材が断片的になってしまって祭りのイベントの全容を表現できません。かと云って、あちこちでいろんなイベントを同時にやるので、どの取材をするのかで頭を痛めます(^ω^)
https://www.youtube.com/watch?v=L3h2-MMIQVc
。撮影データ・・・平成26(2014)年9月21日(日)午後 文京区根津神社界隈
。六代将軍 家宣が根津神社に奉献した大神輿に付いて調べてみました。三基あって、約五尺(1.6メーター)四方。それぞれの神輿は一之宮、二之宮、三之宮と呼ばれていて、一年おきの例大祭の時に一基ずつ交代で台車に乗せて巡幸し、今年は三之宮神輿が出たようです。
。三基の神輿はほぼ同じ意匠ですが、一之宮神輿だけが他の二基の神輿と屋根の部分のマークとテッペンが鳳凰になっているところが違います。一之宮神輿の屋根の三つのマークは丸く見えるので多分、水戸黄門の「この紋所が!」ってのと同じ、徳川家の三つ葉葵のマークではなかろうかと思われます。
。二之宮と三之宮神輿の屋根の三つのマークは、「卍(まんじ)」です。テッペンは鳳凰ではなくて擬宝珠(ぎぼし)になってます。