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Channel: 藪井竹庵
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見習い

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イメージ 1 「見習い」とは、読んで字の如く「見て習う」事なり。

 なまじっかな修行でダメだと思う事なかれ。へこたれないために藪さんがいい事を教えてやろう。「見習い」の自分がダメなのは、見本が悪いからだと思えばよろしい(^-^)v

 もちろんそれは、元気付けるための方便です。芸事の世界にあっては、師匠は絶対の神です。ネット界に於ける藪さんのような存在です。師匠の志らくをご覧なさい。あんなどうしようもなかったヤツでも、談志のような雰囲気が出て来ているじゃないですか・・・

 まだ前座にもなっていない入門三ヶ月の見習いを、横浜にぎわい座の高座に立たせてくれた師匠に感謝しなさい。客に受けなくて当然です。もし受けたら、それは落語の語りで受けてるのではありません。何故志ん生は食うや食わずの貧乏生活を30年以上も続けてやっと飯が食えるようになったのか?

 一ヶ月三千円の食費と三万円の家賃? 随分贅沢ですねぇ。志ん生は「なめくじ長屋」へタダで入居し、食費もほとんどないから、タンポポの塩漬けや赤蛙を捕まえて食べてたんです。飯を食うには落語が上手くならなければならない。だからこそ、貧乏は噺家にとっては理想的な環境なんです。

 子供の頃から贅沢し放題の台東区根岸の方にいるどうしようもないヤツをご覧なさい。旨い物を食ってるようじゃ落語は上手くならんのです。

 落語の師匠は、ああしろこうしろとは教えないのが当たり前。芸は盗むものなんです。師匠の志らくは突然出現したのではなく、師匠の談志の下で我慢に我慢を重ねたからこそ現在の姿があるんです。師匠の芸を盗みなさい。

 それと現代の落語は突然出てきたのではありません。長い歴史の積み重ねの上に成り立っているんです。落語の歴史を勉強しなさい。落語の近代史を知る上で最適な本が・・・三遊亭圓生が書いた「寄席育ち」です。昭和55(1980)年の時点では二千三百円だったので、買う金が無いかも知れません。だいたいどこの図書館にも置いてありますから、借りて読んでください。藪さんは、15日ごとに再貸出しをしてずっと借りっ放しにして、事あるごとに参照しています(^∇^)
 

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